今、不動産市場(マーケット)は大変革期にある!
更新日2020-07-11 (土) 23:12:45 公開日2018年11月29日
不動産マーケットが大きく変わろうとしています。
ということは、不動産を売ったり買ったりするときにも戦略、戦術も変えないと失敗してしまうということです。
変化は徐々に見えて来る!
ここで私のことを少々お話ししましょう。
私の人生がまず1回目大きく変わったのは、大学生2年生の時でした。
そのとき、親が横浜市磯子区に新築マンションを買ったのです。
船員であった父に頼まれ、私はそのマンションの営業担当に会い、色んな説明を受け、結果購入に至るのですが、ここで大きな悔しい思いをしたのです。
その悔しい思いとは、マンションの営業マンに騙されたということ。
その内容は、ちょっと伏せますが、実に腹立たしい思いのため、その後私はアルバイト先を空港のバックヤードから弁護士事務所に変えました。
ここで私の価値観が大きく変わったのです。
大学では貿易の仕事がしたくて、トレードの勉強しかしていなかったのですが、この事件後は法律の勉強をし始めたのです。
そのまま、私は弁護士事務所に入り、その後、宅地建物取引士の資格を取り司法書士事務所に転籍しました。
司法書士事務所に転籍したことで私の人生は大きく変わったのです。
このとき既に、29才、社会人7年目になっていました。
その時に知った多くのことがあります。
もちろん人生観もいろいろ変わりましたが、まず経済のこと、自分が知らなかったことがとても多くありました。
たとえるなら、19歳当時は“カモがネギ持ってきた状態” で、22歳までは“井の中の蛙状態” で、23歳以降29歳までは“虎の威を借る狐状態” だったように思います。
29歳にして何を考えたのか、急に友人と会社を立ち上げ、代表となるのですがそれ続かず31歳で倒産し、その後はトヨタ自動車の期間工として田原市の工場で働いていました。
田原市から東京に帰ってくると、たかだか1年間ほどマーケットの第一線から離れていただけなのに、そこには大きく変化していた市場があったのです。
マーケットから離れて初めて気づくことを知っただけでも、自分が “どうしてこうなのか” ということが大きく変わってきますので、そのお話をしたいと思います。
不動産売買をマーケットだとすると・・
マーケットはゲームに似ています。
なぜゲームと似ているかと言うと、参加するに目的とルールがあり、目的とルールによって戦略が変わることがよく似ているからです。
たとえば、バスケットボールは、ボールを持ったまま3歩以上歩いてはいけないというルールがあります。
アメフトはサッカーから生まれたと言われていますが、アメフトみたいにボールを抱えたまま3歩以上走ってしまったら、とうぜんサッカーのルールではなくなります。
じつは、ボールを持ったまま3歩以上歩いてしまった選手の行動が実に面白いという事からアメフトは始まったのです。
サッカーをしている時、ボールを抱えたままゴールに突進したひとりの “とち狂った人” がいました。
それを見て「これはおもしろい!」という話になったそうです。
そのことが、アメフトの走りと言われているのです。
“ぶっとんだ人” いいですね。そんな “ぶっとんだ人” 大好きです。
枠にとらわれず 「ルールは壊すためにあるんだ!」 みたいな人、大好きです。
このように、サッカーからアメフトが始まり、アメフトのルール(戦略)へと変わっていったわけですが、これと同じように、世の中のルールも大きく変わってきています。
世の中が大きく変わっているのに対し、旧体制のルールではピュアな人(真面目な人)が、古い戦略で一生懸命やっています。
これはとても、もったいないことです。
やる気があって、まじめで、深夜まで残業してがんばっている人の姿はとても健気です。尊敬します。
しかし、残念ながら、なかなか豊かになっていないのが現実なのです。
“働けど働けど畑を耕せど“ のようになっています。
旧体制のやり方でやっていると、せっかく頑張っても恩恵にあずかれないというわけです。
マーケットの変化では、それに気づいて自分の戦略戦術も変えないと目的は達成できなくなっています。
正直者が馬鹿を見る状況になってしまいます。
そこで問題になるのが、旧体制のルールで私たちは教わってきていると言うことです。
学校や、私たちの親は、善意で彼らの時代で役に立った戦略を一生懸命教えてくれます。
しかし、世の中のルールは大きく変わっているため、私たちの時代で、それは役に立たないこと、中には真逆なことも多いのです。
がんばり方、がんばる方向性の問題なのです!
頑張っても恩恵にあずかれないのは、なぜか?!
これは、頑張り方、頑張る方向性の問題なのです。
正直で真面目な人がうまくいくには、努力の量ではなく、努力の方向性が大事です。
現在の風向きをとらえ、戦略を練ることがとても重要になると思います。
今、どういうルールなのかを知ることがとても大事なのです!
風向きをとらえ、戦略を練るためにはどうすればいいか?!
そのためには、今、どういうルールなのかを知ること それが、むちゃくちゃ大事です。
そのためには、まず、読書(たくさんの本を読むこと)をおすすめします。
私が面白くためになったと思うおすすめの本を2冊、ご紹介しましょう。
■日本再興戦略 著者:落合陽一
今、時の人となっています。
私もはまっていて、この方の本をたくさん読んでいます。
分析がするどい方です。
この本は、一読の価値ありです。
■「原因」と「結果」の法則 著者:ジェームズ・アレン
歴史上もっとも多くの読者を獲得してきたと言われる世界的名著ジェームズ・アレン
1902年に書かれた本書は、世界中で今なお着実に売れ続けているという驚異的な
ロングセラー書です。
“常識” とはどんなイメージ?
ここからは、旧体制の常識についてお話します。
“常識” と聞いてどのようなイメージがあるでしょうか。
『常識 = 正しい』のか?
「おまえ、そんな非常識なことできないよ!」 と言っている時は 「おまえ、それって正しくないよ!」 的なニュアンスで言っています。
「これが常識じゃないか、これが普通だよ」 そのように普通、常識というのは、“あたかも正しいこと、普通はこうだ” という正しさを主張しています。
しかし本当に『常識 = 正しい』のでしょうか?
私はここに少々疑問を感じてしまいます。
常識=正しさ”ではない!
よくよく考えると、実は常識は正しさではないということが、実に鮮明に目にも見えたりしています。
たとえば、エスカレーターを例にしてお話します。
すべての方が同じではありませんが、首都圏は、エスカレーターの左側に立ちます。
急ぐ方は右側を追い越していきます。
近畿圏は、エスカレーターの右側に立つのが常識です。急ぐ方は左側を追い越していきます。
東京と大阪は真逆なのです。
ちなみに、世界のスタンダードは、大阪とおなじで右側に立って、左側で追い越すほうが多く、東京とおなじというところは少数なようです。
そして、福岡の方は、おどろいたのですが、真ん中に立ちます。福岡ではエスカレータでは歩かないことが常識なのです。
実は、エスカレーターの利用時は歩かないで止まることが推奨されているのです。
よく「危険!歩かないでください!」とか「危険、追い越さないでください!」というポスターが貼ってあるのを見たことがありますが、推奨されている行動はエスカレーターでは歩かないという事なのです。
しかし、東京でも大阪でも真ん中で立って止まっていると白い目で見られることが多いですね。
福岡では堂々と真ん中で立ち止まっているのですが、それぞれの常識(正しさ)は全くと言っていいほど違います。
常識=正しさではないということの現れなのです。
常識は、誰かの意図でつくられている⁉
常識というのは、誰かの意図で必ずつくられていると思ったほうがいいです。
ここで重要なことは、常識は勝手に出来るものではないと言うことです。
自然になることはありません。誰かが必ずつくっています。
たとえば、先ほどの大阪と東京のエスカレーターの立ち位置が違うのも、“大阪万博があった時に、「世界のスタンダードにあわせよう」と言う意図で、その期間だけ右側に立つというようにしたのです。
大阪が右側に立つことが多いのは、そのなごりと言われています。
先ごろまた大阪で万博開催が決定されましたね。
その時にもまた世界のスタンダードにあわせようと言う意図で何かが決まってくるかもしれませんね。
なぜ、常識は作られるのでしょうか、
それは、実は、常識は誰かの特になる様に作られているという事実があります。
戦国時代の常識
豊臣秀吉は有る目的のため、今まで常識ではなかったことを常識として広める政策を数々打ち出しました。
たとえば、織田信長の頃は、武力がものすごく発展していて、刀隊も鉄砲隊もすごく、人類史上最強と言えなくもない時代でした。
織田信長が明智光秀に討たれ、豊臣秀吉が天下を治めることになってから、豊臣秀吉は刀狩りをして武力を取り上げます。
刀狩りには、農民による一揆を防ぎ、農業に専念させることで、年貢をより多く納めさせるというひとつの目的がありました。
一方、農民は、戦の度に狩り出され、一家の働き手を、負傷や戦死で亡くすという苦しみから解放されるため、その方針に賛同したと思われます。
刀狩りは、人類的には退化して弱くなっていることになります。
しかし、豊臣秀吉は、その価値観として「刀なんて野蛮」「鉄砲なんてよくない」と言う常識を広めたわけです。
この基本は現代にも当てはまります。
法による変化はそれにあたるでしょう。
WW2後の常識
他の代表的な例で、貯金が常識というのがあります。
日本人は、とにかくお金を貯めることが大好きです。
貯金をするというのは、日本人の美徳みたいなものがあります。
貯金は、誰にとって都合がいいのでしょうか?たとえば、「将来の自分のため」これもいいでしょう。
ただ、貯金が美徳というのは、日本人だけなのです。
海外に行くと、お金は回すのが当然です。
さきほどご紹介した “日本再興戦略 著者の落合陽一さん” も「いかにお金を貯め込んでいるかがステータスになっている。お金は本質的に流すものだ。水を溜めていたら澱む。水を溜めこんで腐らせている人が、評価が高いというのはおかしい」 と、とてもするどくおっしゃっています。
そもそも、貯金が始まったのは、戦後、政府にお金がなかったことがきっかけです。
社会復興していくためのお金がなかったため、国民からお金を集めることを考えました。
そのため、国民に対し「貯金がいいよ」というようにしたのが始まりです。
政府は、国民にお金を預けてもらって、そのお金をもとに経済を復興してきたのです。
それが別にダメと言っているわけではないのですが、その理由があったから、政府(社会復興)のために貯金が常識になったということです。
戦後50年以上経た今の常識
家庭に1台のパソコン所持から、今では一人1台のスマホ所持が常識となっています。
この常識、ここ数年で起こった大変化なのですが、今では当たり前となり、スマホを持っていないことが常識ではない=異常なことともいわれているのです。
これらのポイントは、“私たちのために存在している常識というのは、ほとんどないと思ったほうがいい” ということになります。
私たちのために存在している常識が無いとは、誰かのために常識があると言えるのです。
さて、その誰か棟いったい誰のことでしょう⁉
ルールが変わったから戦略も変えなければいけない!
私の母親も古典的な人ですから、いろんな常識を教えてくれました。
そのようにして、私たちは先人に旧体制のルールで世の中のことを教わってきているのです。
そのほとんどは、私たちのためではなく、企業や国のために存在する常識であり、その中で生きてきたということです。
義務教育で採用された教科書もまた、この私たちのためではなく、企業や国のために存在する常識を解説する書と言えるのです。
しかし、時代は急速に変わっています。
ルールが変わったから戦略も変えなければいけないのです。
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